本多裕樹 プロフィール
本多裕樹(1981〜 )
・画家、詩人、美術家
・東京展美術協会 会員
・ユダヤ・キリスト・イスラーム教を信仰している。
1、山形県生まれで埼玉県で育った。小松原高等学校を4年で卒業した。ほぼ、お情けで卒業させてもらった。勉強というのができなかった。今、中年になってようやく中学生くらいの学力にたどりつく。
勉強は続けています。
高校の時、精神科に二度入院する。そこで地獄を見たことを終生忘れることがないだろう。学校の方は出席日数が足りなくて留年をする。卒業後、デイケアにお世話になり、リハビリに専念する。
2、20歳の時、美術家を志して修練を重ねる。先ずはデッサンと水彩画に励む、美術で生きることを志向する。
3、アートマスターズスクール(油絵科)の本科に学ぶ。
藤木俊明、甲斐光省、軽込孝信、佐藤信夫に学ぶ。
4、日本アンデパンダン展(国立新美術館)に出品、以後毎年、出品を続ける。
5、ASリカレントインテグレーション展に出品、以後、毎年出品する。
6、新越谷 「ぎゃらりーパステル」に企画展に毎回出品する。最初の展覧会で完売した。閉廊するまで作品発表の機会を与えられた。そこで様々な進歩と成長があった。
7、新越谷「ギャラリーK」に移籍し、そこでも作品発表を続ける。様々な企画展に出品しています。今でもギャラリーK を主戦場としています。
8、民主青年美術展(東京都美術館)に2回ほど出品する。
9、アートコンフューズ展(日本美術会主催)に数回出品する。
10、草加市展に毎年出品、書道の部、絵画の部で出品しています。主に書道の部に出品。
11、第61回〜 日本アンデパンダン展 初出品より毎年継続的に定期出品をしている。そして、今にいたる。
12、個展
本多裕樹個展 「イデア考察」 ギャラリーK 2020年
本多裕樹個展 「魔導王と総主教の決戦」 ギャラリーK 2021年
本多裕樹個展 「ベールを取ったイシス」ギャラリーK 2022年
本多裕樹個展 ーサンクチュアリの夢ーギャラリーK 2023年
本多裕樹個展 東方浄土之図 来たり ギャラリーK 2024年
「本多裕樹個展」 喫茶JUNEにて 草加松原 2022〜 個展 3回〜
国際公募展 美は国境を越えて 2024 優秀賞 受賞
第50回 東京展 2024年 奨励賞 受賞
本多裕樹―自らの道
本多裕樹は今回、初めての個展を経験したが、画暦は20年、幼少の頃を含めればそれ以上になるのではないだろうか。30歳で一旦止めて30年振りに活動を再開したアーティスト、70過ぎてから活動を始めた者も私は知っているので、それほど驚くことではない。
重要なのは個展を開催し、自己の作品を客観的に見て、次に繋げる努力を繰り返し、重ねることである。これからは、オンラインが出来ない学問や仕事が淘汰される可能性を否定できない。それでも我々は人間である証として、制作と活動を続けなければならないのだ。
芸術が神聖である理由とは、芸術は常に嘘がなく、清らかで、誠実なものであるべきだからである。作品の背後に紙幣や地位があっても、神がいても、ちっぽけな自分の姿であろうと、紙幣、地位、神、個人を更に突き抜けたそれらの本質を、芸術は携えている。
制作とは試行錯誤の連続であり、そこに衝動が追加されるのだから、本当に辛く、厳しい道である。しかし人間の感情を喜怒哀楽に振り分けるのは社会性だけの問題であり、本来は複雑に絡み合い、一つの感情で作用することは決してない。つまり、生きる道だ。
本多は、古今東西の絵画を善く学んでいる。それは単なる憧憬に収まらず、自らの道の探求に直結している。過去の作品から学び、これからの自らの世界の形成に役立てている。抽象、具象という主題から、油彩、アクリルという材質もよく試している。
本多はそれでもまだ、力を持て余していると私には感じる。自己がなぜ描かなければならないのか分からない。芸術にどのような、社会的にも歴史的にも役割があるのかを図る術がない。実は、それは誰も分かってはいない。分からないからこそ実践するしかないのだ。
本多は、河口聖を私淑している。河口は本多に具体的な何かを教えるのではなく、絵描きとは何かを遠回しに伝えている。そのような河口を、本多は肌で感じながら活動を続けていけばいいのだ。それは都心の画廊にある、様々な洗礼を受け止める準備となろう。
本多には、これから様々な試練が待ち受けている。それを苦痛と感じるか、乗り越えるべき壁だと挑戦するか。しかし、多くの味方も本多を待ち望んでいる。絵を描き続けるという特異な仕事を続けるには、様々な人間との出会いを通過し、自らの道を探すことにある。それを本多が出来ると、私は感じている。
(宮田徹也|日本近代美術思想史研究)
本多さんの初個展を拝見した。この方の作品の感想を記そうと思う。まず、私が一番惹かれたのは、頭に羽のついた天使か神のような存在の顕現である。それは入り口入って真ん前にあった一番大きい作品と入って左壁の向かって右から三番目にあった作品である。本多さんの話だと、一番評判が良かったのは、巻物の作品だという。
私はその両方に本多さんの作品と作品を視る側の関係があるような気がする。どの作品にも満ちているのだが、やはり巻物と頭から羽のはえた天使、そして抽象画への作者の興味の変容、この中のすべてに作者の頭の中と現実の対話のようなものを感じるのである。そんなものは当たり前だと言われるかもしれないが、頭の中の世界を現実に顕すことの難しさたるや夢から覚めて夢を再現するより難しいのである。本多さんはそれを苦しみながら、しかし一見自由闊達にやってのける。その技たるや見事である。その裏付けとなるのが作者の半端ない知識であろう。その知識量をきくにつけ、表現したい世界を表現してやるという作者の覚悟を感じるのである。
岸谷manah